| 神道山からの風便り 当教会所所長でもある副教主様の活動の一部をご紹介いたします。 | ||||
| ☆平成20年5月28日(水)山陽新聞 「アジア欧州会議」ASEMに副教主様が出席されるという記事が山陽新聞に掲載されました。 ![]() |
☆平成20年7月5日(土)東京新聞 札幌で開催された「世界宗教者会議」での副教主様のコメントが東京新聞に掲載されました。 |
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「ASEM 異なる信仰間の対話会議」に政府代表として出席させていただいて@ 本教機関誌「日新」7月号より転載 副教主 黒住 宗道 去る六月三日から三日間、オランダのアムステルダムで開催された「第四回アジア欧州会合(ASEM)異なる信仰間の対話会議」に、私はわが国の政府代表として出席させていただきました。本稿先月号で紹介いたしましたように、外務省担当官以外で日本からの出席者がこの会議に派遣されたのは初めてのことで、まことに光栄なことであるとともに大変な重責でしたが、お道づれの皆様のお祈り添えに勇気と安心をいただいて、おかげさまで政府代表という職務を全うして帰国することができました。心からの感謝を込めて、会議の報告を申し上げたいと思います。 六月一日、「ついたち御日拝」と開運祭で教主様から直々の御祈念をいただき、急なご案内にもかかわらず駆けつけて下さった近隣教会所所属のお道づれ有志の方々からの心温まる激励と見送りを受けて神道山を出発、空路上京して成田空港近くのホテルにて同行スタッフと合流しました。この度の会議は、いわば実務者会議で、全体会議と分科会での協議が中心となり、「貧困の削減」、「宗教教育の課題」、「デジタル社会における宗教」、「国家の宗教政策」の内のいずれかを選択して議論を深めるものでした。「貧困の削減」の分科会に出席することになっていた私は、まずきちんとした持論を述べてから議論に参加するべく提言書を準備していました。 二日正午過ぎの便で日本を後にして、時差の関係で同日夕刻に、十一時間のフライトを終えてアムステルダムのスキポール空港に到着しました。政府派遣ですから、有り難いことにエグゼクティブ席が手配されており、実に快適な空の旅でした。同行のWCRP(世界宗教者平和会議)日本委員会の事務局員と外務省アジア欧州協力室首席事務官と代表である私の三人が“チーム・ジャパン”の構成員でしたので、翌日からベストを尽くせるように、まずは前祝いの乾杯をして会議に備えました。 三日、いよいよ会議初日の朝、幸先良くと申しましょうか、実に嬉しい電話がかかってきました。電話の主は今もオランダの国会議員として活躍されているエリカ・テルプストラ女史。平成二年に神道山で開かれた「神道国際研究会」に出席して、何よりも御日拝に感激して涙され、以来毎年の年賀状を通じてだけですが親交を続けてきた方でした。(昨年十月号の本稿写真をご覧下さい)十八年前と全く変わらない情熱溢れる大きな声で私のオランダ入りを歓迎してくれた彼女は、現在担当している北京オリンピックのオランダ選手団の政府役員の仕事が多忙を極めているとのことで、私と会えないことを詫びながら会議の成功を祈って下さいました。事前にメールで今回の訪問を知らせていたのですが、返事がないので諦めていたところへの大変嬉しい激励電話でした。 会議出席者登録をして代表者用の赤い紐の名札をもらった後、出席者が忌憚なく発言できるようにとの配慮からか、まずは運河の街アムステルダムの市内観光クルーズ(巡航)に出かけました。 宗教改革の中心地の一つであったアムステルダムはカルヴァン派と呼ばれる新教の勢いが特に強かった所で、多くのカトリック教会が破壊されたりプロテスタント教会に変えられたりした宗教対立の歴史を色濃く残している街でもあります。過去の経験から学んで、キリスト教各派に限らずイスラム教や他の宗教が共存している現状説明を、市内を巡る船の中で聞きました。船内で同席した方は、アイルランド政府代表のジョン・ハスキンス氏という方で、いただいた名刺には「Office of the Minister for Integration Justice」と書かれてありました。「正義統合大臣」とでも訳すのでしょうか。正義と正義を掲げて対立する宗教間の調停が、いかに重要な政治的課題であるかを伺える彼の役職でした。公の政府間協議の場での宗教間対話を取り進めるこの会議の意義を、改めて学んだことです。 九十分のクルージングを終えて、開会式が行われた元キリスト教会に、四十ヵ国からの百八十五人の出席者全員が集合しました。外観は隣接する建物と変わらないこの会場は、もともと天を突くようなゴシック建築のカトリック教会であったものが、先述のようにプロテスタント教会として改築して使われ、現在は複雑な宗教対立の歴史を物語る記念堂として保存されています。内部はキリスト教会として使われていた当時のまま(さすがに十字架はありませんでしたが・・・)の大聖堂に、昼食パーティーの準備が万端整えられている光景はいささか異様でしたが、考えてみれば祭典と説教の後、御直会の場としてお道づれが和気藹々に盃を交わす教会所の風景と同じと思えばかえって自然で、「昔から神様の前で心通わせて楽しく過ごす御直会の伝統が彼らにあったなら、歴史も変わっていたかもしれない・・・」と不遜ながら思ったことでした。 食事の前に、アムステルダム大学のジェームズ・ケネディ教授によるオランダ宗教史の講義が行われました。厳しい対立と抗争の末、現在の宗教的寛容性が培われたという講義終了後、自席に戻られた教授を訪ねて、私は思い切って一つの質問をしました。 実はこの度の大役を仰せつかった際、私は佐藤行雄元国連全権大使にお電話を差し上げていました。西暦二〇〇〇年の「ミレニアム世界平和サミット(国連宗教サミット)」の日本使節団幹事長をつとめたのが縁で親しくしていただくようになった佐藤元大使に、外務省からの要請で代表として彼の地を訪れることになった旨を伝えると、激励の言葉とともに一冊の本を勧めて下さいました。「Murder in Amsterdam(アムステルダムでの殺人)」と題されたその本は、有名な画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが大叔父であった映画監督のテオ・ヴァン・ゴッホ氏が、四年前にイスラム過激主義者によって殺害(処刑)された事件を取り上げたもので、それがいかに衝撃的な出来事であったかは「Limit of Tolerance(寛容の限界)」という副題からも伺えました。 オランダの宗教的寛容性を述べたばかりのジェームズ教授に、この本で知った衝撃の事件の国民への影響を尋ねることは失礼かとも思いましたが、聞いておかなければならないことと思って伺うと、教授は非常に真剣な眼差しでこちらを向いて丁寧に答えて下さいました。 「実に悲しい出来事でした。国民の多くは動揺し、そしてイスラム過激主義者への激しい怒りと非難が起こりました。それは当然のことですが、同時に過激主義者への非難をイスラムそのものに向けてはならないという主張がなされたのも事実です。解決したとはいえない事件ですが、寛容を重んじる姿勢に変化はないと私は考えています。答えになったでしょうか・・・?」 9・11テロ以降、世界中が直面することになった大問題ですから、もとより明快な回答をいただくために質問したわけではありませんでした。私は教授に心からお礼を申し上げて席を辞しました。誰もが予想できる無難なコメントを聞いただけかもしれませんが、きれいごとでは済まされない苦しい胸の内を分かち合うこと、それが橋渡しへの大切な一歩なのではないかと改めて思いました。 (つづく)
「ASEM 異なる信仰間の対話会議」に政府代表として出席させていただいてA
会議初日の六月三日、午後の日程はアムステルダムの宗教事情の現地視察でした。「貧困の削減」がテーマの分科会に出席する私は、プロテスタント教会が実践する路上生活者への食事サービス・プログラムを学習するグループに参加しました。オランダの首都の下町で、無償の奉仕に連日身を捧げる人々から直接話を伺い、貧困問題への宗教の貢献の一例を学びました。 翌四日、主会場には各国の代表者席がコの字型に設えられていました。「JAPAN」の前に座る責任の重さを改めて感じつつ、私は席に着きました。 昼食までの全体会議では、主催国オランダと共催国タイの外務大臣による歓迎挨拶に続いて、中国、スペイン、インドネシア、英国、パキスタン、キプロス、ミャンマー等のASEM担当大使や外務省担当官からの提言が行われました。午後からの分科会のための問題提起でしたから、私は各国の実情を把握すべくメモを取りながら聴いていましたが、実は、黙ってはいられない衝動に駆られた二つの発言がありました。 中国のワン・シュエンASEM大使が、「国内の諸民族・諸宗教は、平和的に共存している」と説明し、「信仰の自由を守ることは中国政府の基本政策」と明言したのです。私は、その場で挙手してチベット問題について質問しようと本気で思いましたが、居並ぶ外交官に先んじて発言することはいかがかと思い、何とか踏みとどまりました。あえて申しますが、残念ながら誰からも中国政府代表への質問や異論発言はありませんでした。釈然としないまま各国の提言を聴き続けましたが、最後に発言したのがミャンマーのトゥン・タン大使でした。仏教僧侶らに対する軍事政権の制裁措置について一切言及せず、サイクロンの被害と支援の協力ばかりを訴える大使の言葉に、私は虚しさを感じざるを得ませんでした。 「勇気を出して質問すべきだっただろうか・・・」、「政府代表として、発言を慎んだのは正しかったといえるだろうか・・・」。全体会議終了後、自問自答しながら昼食会場に赴くと、アジア欧州基金(ASEF)実行委員長のチョー・ウォニル大使のテーブルに空席があったので、ご一緒させていただき、食事中に思い切って尋ねてみました。 「中国政府の発言には、チベット問題が考慮されていなかったようですが・・・」と発言すると、今まで談笑していた同席の人たちからも、「私も、同様の疑問を感じた」、「仏教者に対する政府の対応について何も触れなかったミャンマーの発言も不自然」と、口々に“本音”が飛び出しました。ウォニル大使は困った顔をしながら「公の場で議論するには、まだ時間が必要なんだと思います」とだけ言われました。「そんなことでいいんですか?」と、もっと突っ込んで問うべきだったかもしれませんし、別の機会に発言の主に直接質問することもできたはずですが、結局のところ、その後の“詰め”をせずに私は帰国しました。会議から二ヶ月近くたった今も、実は“消化不良”のままなのですが、政府間レベルの微妙な外交問題に、政府代表の肩書きをもった素人、しかも宗教者が軽々に発言をしなかったのは、私なりに苦慮した上での判断でした。 午後から、いよいよ分科会が始まりました。「貧困の削減」という極めて困難なテーマを選んだのは、「貧困」について宗教者にしか発言できない切り口があると思ったからです。 パネリストの発言や、その後のディスカッション(議論)は到底すべて披露できませんので、挙手して座長の指名を受けて発言した私の提言の要旨を紹介したいと思います。 ○ ○ 最初に宗教者として言っておきたいことは、「貧困」そのものが悪ではないということ。現代の地球規模の市場原理と経済システムの影響により、今や世界中で、経済的に恵まれていないことは不幸なことであると誰もが思う時代だが、決してそうではないと考える。事実、慎ましやかな日々の生活の中で、現代人が見失いがちな愛と慈しみと誠実さをもって幸せに生きている人々は確かに存在している。 この事実を踏まえた上で、私は「貧困」は二種類に分けて論じられなければならないと思う。 一点目は「極度の貧困」と呼ばれるもの。飢饉や災害による飢餓状態も含めて、生命存続の危機に直面している状態の「極度の貧困」に対しては、とても個人レベルで解決できるものではないので、国連やその他の政府機関や大規模NGO等、今まさに失われつつある命を救うために活動している組織・団体に一人でも多くの人が協力して、世界中の善意で解決への行動がなされなければならない。案じ論じるよりも、何はともあれ行動が最優先されるべき「貧困」。 二点目は「貧困感」ともいえる、他者との比較において実感する格差感。あらゆる分野でグローバル化が進み、経済的・物理的な不平等が地球上のいたるところで極めて深刻になっている。「極度の貧困」ほどの極限状態ではないものの、経済的・物理的に恵まれていないことから生じる不幸感や絶望感は、当然個人差や地域差があるが、人の心を荒廃させ追い詰めることに多大な影響を与えている。努力が実を結ぶようなチャンスに恵まれている人は極少数で、多くの経済的・物理的に貧しい人々は、個人の力ではどうしようもない弱い立場に置かれている。それが、民族や宗教などの違いで優劣がつけられるといった不条理極まりないことが原因である場合、「窮鼠猫を噛む」悲劇が起こらないはずはない。いったん血が流されると、その恨みが次の恨みに連鎖することも、当然の成り行き。私は、一般に「民族紛争」とか「宗教対立」と言われる争いの根本原因は、この「貧困問題」だと考える。 私は人の命は万物の親神の前に平等であると信じている。宇宙の根源ともいえる崇高なる存在をどう表現するかという議論は別にして、それぞれの信仰を元に多くの宗教者が、人の命が本来平等であることに同意してもらえればと期待している。 この考えに基づくと、宗教者の役割は明らか。すなわち、単に金銭的な支援や物質的な援助だけを頼りとせず、いかにして格差感や不平等感を克服させ、心の豊かさと安心を与えることに専心努力するか。かつて来日したマザー・テレサが、「日本人は、物質的には豊かに見えるが、精神的には貧しいのでは・・・」と発言。「貧困」を物質的な側面からだけではなく、精神的な側面から語れるのは宗教者。決して簡単なことではないが、宗派や教団を超えて、「貧困の削減」のために叡智を出し合おう。 ○ ○ 私が紹介した具体的な例は、日本古来の「困ったときはお互いさま」の相互扶助の精神と、私の長年の友人であるスリランカのヴィンヤ・アーリヤラトネ氏が、活動創始者である彼の父とともに推進してきた「サルボダヤ運動」と呼ばれる仏教の教えに基づいた経済的自立を促す貧困対策でした。 分科会は翌五日の午前中も引き続いて行われ、最後は提言文をまとめる作業に専念しました。そして、再び全員が一堂に会した最終全体会議で宣言文の協議がなされ、実質二日間という短さではありましたが、両日ともに終日議論の続いた公式日程は終了しました。 果たして政府代表、しかも当会議においては初めて出席した日本人宗教者という大役がつとまったかどうか分かりませんが、何はともあれベストを尽くさせていただきました。今秋には、「第七回ASEMサミット」が北京で開催されるとのことですが、各分野での議論の蓄積が諸課題の解決に向けて少しでも役立てられることを願うばかりです。 (おわり) 共有される安全保障(Shared Security) ―G8サミットへの提言会議報告― 副教主 黒住宗道 本誌先月号で紹介されましたように、去る七月二日と三日、 わずか二日間の会議でしたが、半年間にわたり国内外の実行委員が電子メールとファックスを駆使して何度もやり取りして練り上げてきた提言書の案文に、出席者がさらに意見を加えるという会議でしたから、かなり深く協議のできた提言書をサミット議長である福田首相に手渡すことができました。事実、東京新聞に掲載されましたように(本誌先月号に転載)、唯一の被爆国・日本での開催ということで「核兵器の全面廃絶」が提言に盛り込まれたのですが、その過程で核保有国の出席者、特に起草委員の一人であったロシア正教の代表との意見交換は数時間に及びました。「今日、明日の廃絶を求めているわけではない・・・」、「いつの日か核兵器のない世界が実現することを願う、その思いを分かち合ってもらいたい・・・」と腰をすえて説明して、軽々に承認することで母国の政策に抵触することを危惧する先方の理解を粘り強く求めました。結局、英文による最終案がまとまったのは午前三時、日本語への翻訳作業は事務局に任せましたが、五人の起草委員の一人として貴重な宗教対話の現場に身を置くことのできたことを本当に有り難く思っています。起草委員は、ロシアサミットに対して諸宗教会議を主催したロシア正教のチャプリン渉外部長、ドイツサミットに際しての会議を主催したドイツ福音派教会協議会のアフォルデルバッハ氏、WCRP(世界宗教者平和会議)国際委員会のベンドレイ事務総長、そしてWCRP日本委員会平和研究所所長の眞田芳憲中央大学名誉教授と私でした。 そして仮眠程度で臨んだ二日目最初の全体会議で、私がパネリストとして発言したのが、起草委員会で最も時間を要した「核兵器廃絶」に関する発題でした。私が所属するWCRP「非武装・和解委員会」の総意に個人的見解を加えた発表の要旨を紹介させていただきます。 ○ ○
現在、世界は今なお、全人類を何回も破滅させる可能性のある約二万六千発の核兵器弾頭の恐怖にさらされている。そのうちアメリカ、ロシアにより作戦配備されている弾頭数は一万発を数える。核兵器廃絶の方向へ勇気ある一歩を踏み出せない世界で、私たちは留まるところを知らないテロ、暴力の応酬が繰り返される混沌の中、核兵器、製造技術が拡散しかねない脅威の中に生きている。そして、テロ攻撃や大量破壊兵器の脅威に対する選択としての核兵器による先制攻撃や、ミサイル防衛システムへの対抗措置としての核兵器使用の可能性が示唆されるとともに、既存兵器の老朽化という現実もあいまって、一層の核兵器の小型化と近代化、さらなる開発研究が進められるという状況下で、今、人類社会は極めて不安定な状況に置かれている。
折しも本会議場に私たちが集うわずか八日前、六月二十六日に「六カ国協議」の成果として北朝鮮による核開発の申告がなされ、その証として冷却塔の破壊が日本・中国・米国の代表の前でデモンストレーションされた。以後四十五日間の精査を経て、申告通りであれば、米国は北朝鮮をテロ支援国家リストから除外するとの見通しとなっている。しかし、今回の申告には北朝鮮が保有していると信じられている核兵器については何ら言及されていない。ここで深く憂慮されねばならないことは、このまま核兵器の申告がなされないまま、この国がテロ支援国家リストから除外されれば、北朝鮮による核兵器保有を世界が容認する状況を生み出してしまう。このような状況の中で、私たちは例外なき核兵器廃絶への道を切り開かねば、いかなる物理的圧力をもってしても北朝鮮に核兵器廃絶を迫る正当性は失われてしまう。私たち世界の宗教者に課せられた課題は、極めて重要。
私たちは今こそ、世界宗教者平和会議のもてるネットワークの総力を挙げて、世界の世論の方向性を大きく切り替えていく一大先頭に立つ決定をすべきときが到来しているように感じる。私たちが心からミレニアム開発目標の実現を願い、われわれの子々孫々に健全にして豊かな自然を真に望むのであれば、私たちは死ぬことよりも生きることを、軍事費により多くの資源をつぎ込むよりも耕作の恵みをもたらす鋤や鍬を増やさねばならない。幸い私たちは、世界各界の指導者の友人と力を合わせる素晴らしい平和へのパートナーが、この日本のイニシアチブで生まれたことを知っている。
まず、世界百二十カ国、一、五七八都市にまで広がりを見せている核兵器のない世界の創造を目指して努力している広島市長、
この四月から五月にかけ、私は二〇一〇年のNPT(核不拡散)再検討会議準備会議にWCRP国際委員会からの呼び掛けもあり、参加させていただいた。この会議に出席して、私は確かに核兵器から解放された世界の創造に向けた確かな意思が、加盟国政府の中にも生まれつつあることを肌身で感じ取ることができた。宗教家を含む世界の核廃絶に取り組むNGO、および市民グループは、その長年の取り組みの成果として確実に核兵器禁止条約採択の可能性を加盟国政府に感じさせるところまで、ようやく到達しつつあることを実感した。いよいよここが正念場。世界の宗教者のネットワークが生み出す力強い平和への祈りと提言をもって、世界が核兵器から解放され、すべての国、そしてすべての人々が共に生きられる、生かそうとする世界をつくろうではないか。
そのために、核不拡散条約の徹底的実施と、NPT未加盟の核保有国の加盟促進、そして核の保有を認めていない国に対して保有の事実発表を求め、廃絶へ向けての行動を促すことをG8諸国に求めたい。例外なき平等性が守られることが約束を形骸化させないために必要なことは、NPTも例外ではないと信じる。
今、世界では、世界の政治指導者と世界の宗教指導者の平和に向けた一大運動が起こりうることを予感させる。今、国連を中心として「諸宗教間対話・協力の国連十年」構想の実現化に向けての大きな動きが起こりつつある。この構想が実現されれば、その二〇一一年は奇しくも平和市長会議が二〇二〇年までに世界からの核兵器を廃絶させることを目指す第一歩として核兵器禁止条約の採択が目指されているNPT再検討会議の開催される二〇一〇年の翌年にあたる。それは、市長会議が二〇一一年からの十年間の間に、この人類の悲願を達成させるための運動を展開する十年間にもあたる。私は、現在提案されその実現化が進められているこの二〇一一年から始まる十年間を「核兵器廃絶のための国連十年」とできるよう提案したいと思っている。二十数万の原爆犠牲者、劣化ウラン弾の犠牲者、何百回となく繰り返された核実験にさらされ散っていった尊いかけがえのないいのちに私は思いを馳せる。原爆被爆に遭った私たちの同胞は、それから六十三年が経過する。この長い間、幾多の言葉に表現することもできない苦痛の中、被爆者はその苦しみから逃れるための死を選ぶかわりに、二度とこの惨禍を繰り返させない願いを訴え続けるために生き続けることを選んだとの体験も聞いた。しかしその命も大部分が灯り切ろうとしている。皮肉なことだが、世界で貯蔵され、また配備されている核兵器も六十数年の年月を経て、使用不可能な老朽化の時代を迎えている。今、この老齢化した核弾頭に永遠の別れを告げ、これまで平和のために献身してきた多くの被爆者が、真に平和な世界を開くかけがえのない働きをされたことに対して、私たち宗教者からの永遠のプレゼントを贈りたいと願う。さらに、“悪魔の兵器”とも言われるクラスター爆弾の完全廃絶も、この場を借りて訴えたい。(中略)
とりわけ青年層への啓発は重要。皮肉なことながら、六十三年という歳月は核兵器の脅威を風化させるにも十分な時間となりつつある。歴史上の事実として学び知っていても、その恐怖を実感できないこれからの世代に対して、核兵器のない時代の必要性を真摯に伝えていかねばならない義務が私たち大人には課せられている。建設的な叡知があれば、皆様と分かち合いたい。
最後に、ジュネーブで私が発言の機会を与えられた会議で紹介した、私の宗教的背景である日本の神道における考え方の一端を紹介したい。 「私たちの信仰では、私たちのかけがえのないいのちは、大いなる天地自然より与えられた尊い存在であると信じている。私たちは自分の力で生きているのではなく、この大いなる宇宙の恵みにより生かされて生きていると、感謝をもって理解している。それ故に、私たち人間は、生かされている御恩に報いるべく、感謝の思いをもって他者のために尽くすことを生きる上での基本と心得ている。このような基本的な立場から、核兵器が今のまま存続を認められていくことは、私たちの信条とは相容れない、それどころか逆行することであると信じる。無差別的にすべてのいのちと、その基盤を形成する地球的生態系一切を破壊しつくしてしまう核兵器の存在を、私たちは到底容認することはできない」 ○ ○ その後、全員一致で採択された提言書の主題は「共有される安全保障(Shared Security)」でした。「すべての人々と自然環境との間の根本的相互関係に焦点を合わせることによって築かれる、人間安全保障の基本概念」として提言書の中で繰り返し力説された「共有」というキーワード(重要語)が、首脳サミットに影響を与えたのかどうかは知る由もありませんが、四日後に開会されたG8サミットのキーワードと同じであったことを、携わった者として感慨深く思っています。七月九日付けの読売新聞によると、「最後まで残った争点は、日本政府が主張していた(温室効果ガス削減の)長期目標を『共有する(share)』という言葉だった。米政府は、目標受け入れが『望ましい(desirable)』とするよう主張。福田首相はブッシュ米大統領に自ら電話をかけ、歩み寄りを要請した。(中略)この結果、G8は温暖化に関する首脳宣言の内容で事務レベルの合意に到達(後略)」とありました。 「共有」によって初めて「共生」できることを深く考えさせられた、この度の会議でありました。 追伸 先月六日、私はWCRPを代表して広島を訪れました。午前六時十五分から行われた広島県宗教連盟による原爆供養塔前での慰霊式典に参列して、来賓代表の一人として参拝、引き続いて午前八時から、
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