教会所報  
あずまのひもろぎ1月号

 
 ご日拝で“生かされて生きる”毎日(上)


黒住教東京大教会所所属 Oさん

 こんなことがあるのでしょうか・・・。

私は今、こうして元気に今を、今日(こんにち)只今(ただいま)を、生かされて生きてるのです。

 私は一昨年の十一月二十八日に、すい臓癌と宣告されて入院。五pもの癌が十二指腸を狭窄(きょうさく)し、食べ物が通らず吐き出す毎日。癌は大動脈リンパ節にも転移し、大きな血管をも巻き込んでいる状態でした。日に日に体重は減少し、恐ろしいほどの風貌(ふうぼう)となってました。

 診断は当然、“手術不可能”。後で知ったことでしたが、「ステージ4B」という末期癌の中でも最終段階でした。(ほどこ)された治療は、@閉じられた十二指腸に内視鏡にてステント(細い管状の医療器具)挿入(そうにゅう)し、トンネルを作って通過を良くする A抗癌剤を用いる、ということでした。

 このような状態であった私は、十二月十七日の東京大教会所の祝祭で斎主をおつとめになった直後の教主様による直禁(じきまじ)(ない)受けて、大きなお蔭をいただいたのです。再び生かしていただいたのです!@ステントが寸分の狂いもなく所定の位置にピタリと納まり、A百五十四種類もの抗癌剤の中の一つが、何の副作用もなくこれまたピタリと効いたのです。そして、痛み苦しむこともなく、癌を抱えたままではありまが、平成十九年一月十四日に退院。四月に神道山らせていただき現在に至っています。

 実は、入院時の私の命は「新年を迎えられないだろう・・・」とのことだったそうです。私自身も決して長くはないと感じておりましたが、まさかそれほどとは思っていませんでした。それが今、こうして生きて、神道山での生活も十一ヵ月。迎えられないといわれた新年を二回も迎えられたのです。

 この事実は、決して“偶然”とか“ついている”というような言葉ではない、何か大きな力、まさしく教祖神の御働きと思わずにはいられない御神慮を心から感じます。それは、ここ神道山でのご日拝から始まる生活の中で、私の心が感じ取ったことだと思います。木々が息吹く春に、教祖神の御教えも何も分からずに引っ張られるように神道山に参り、新緑に輝くお日様に感動の涙を流し、厳しい夏も何とか乗り越え、素晴らしい秋の紅葉に心奪われ、また涙。そして、この冬が訪れました。

元日午前零時に始まる歳旦祭に参拝するため、寒さの募る中、降り始めた(みぞれ)を受けて大教殿に向う上り坂。一歩一歩踏みしめながら、「生きている、生きている!」とうと、涙、涙止まらない涙のまま大教殿へ。大祓(おおはらえ)(のことば)を唱えようにも「嬉しい、有り難い!」心で一杯になって涙が溢れ、お祓いの声になりません。「生きた、生きられた、一年を越えた!!」と思うと、熱い心の涙が止まらないのです。その熱い心の中は、「生きた、生き抜いた」と思う気持ちが、だんだんと「いや、生かされて生きているんだ」という思いに変わり、そして純粋な感謝の念へと深められていきました。

元気でいる日が続くと、自力で生きてきたと思いがちになるものです。実際私は、自分でも生きる努力は精一杯してきました。今死ぬわけにはいかない、八十六歳の母より先に()わけにはいかない、私を守り祈り続けて下さった方々のためにも、簡単に果てるわけにはいかない。そして、何よりも、人様のために役立ってから死にたい!と思い、食事睡眠に心を配り、血液の流れが良くなるように、風邪をひかないように等々、できる限りの努力をしてきたつもりです。でも、自分の努力は努力としても(はる)かにそれを超える大きな力で、生かされて生きているのだ!と心から実感させられました。そして、そのたびに、教祖宗忠神のニコニコしたお顔が浮かび、また涙が溢れ出るのです。        (続く)


■トピックス

開運善哉ランチ
◎寒中お祓い修行・新春開運祈願祭

1月27日(日)恒例の「寒中お祓い修行」と「新春開運祈願祭」が執り行われました。
午前中は所長先生(副教主様)を先達に約一時間のお祓い修行で、しっかりと大祓詞を唱えました。
昼食には、お道づれからお供えされたお餅を「開運善哉」としておいしくいただき、午後1時からの新春開運祈願祭において、皆様の今年一年のご開運をお祈りいたしました。

お説教を拝聴する参拝者
◎開運感謝祭・交通安全祈願祭

2月17日(日)には、「開運感謝祭」に併せて「交通安全祈願祭」が執り行われ、二月の誕生祭・月霊祭とともにお申し込みいただいた皆様の交通安全(運転安全)をお祈りいたしました。
神事のあとには、お楽しみの節分行事「福引ビンゴ」にて今年の「福」を参拝者一同しっかりといただきました。